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大地震に思う 体験的復興祈願 [日記]

更新をサボっている間旅行に行ったりはしたが、大きな出来事は3月11日の大地震だ。
自分や身内に被害はなかったが、何かしら引っかかっているような感じが抜けない。
そのせいもあるのだろうか、しばらくぶりになってしまった。

110409wakaba.jpg

今回の災害は他と比較にならないくらいの大被害であり、未だに全容は不明だし原発関連の
被害は進行中だ。しかし、とにかく前へ進んで行かねばならない。

自分は現地にも行ってないし、ニュースで見聞きするだけだ。だから想像はできてもどこまで
本当に理解できているかは分からない。

ただ実際に経験した記憶を思い出すことで、ある程度は実感することができると思う。

阪神大震災の時は発生から1週間後くらいに現地に入りしばらく取材した。丸焼けになった長田
地区などは確かに映像で見たとおりだったが、そのような大惨状の現場からかなり遠く離れた
住宅街でもあちこち家が傾き地面にヒビが走っていたのを覚えている。
テレビなどで報道されるのは派手に壊れていたり焼けたところばかりだが、住人にとってみれば
ちょっと傾いただけでその家にはもう住めない。その点では完全崩壊や丸焼けと同じことなのだ。

報道で被害を知るしかないが、その何倍もの被害が実際にはあるという想像力を無くしてはならない
とつくづく思った。

しかしまた、同時にだからこそ前向きに進むことも必要なのだ。
阪神大震災の前年・1994年の秋にアフリカのルワンダで起こった大虐殺事件の取材に行った時の
経験からそう思うようになった。

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写真は、難民キャンプでの結婚式

親兄弟親戚、顔見知り同士が殺し合いを演ずるという想像を絶する状況下、着の身着のまま隣国
ザイールに逃げこんできたルワンダの人たちのたくましさには驚くばかりだった。
逃げてきた国の国立公園の木を切り倒して薪にする。唯一持ち出してきた家財道具のミシンを
使って商売を始めている人。臨月のお腹で脱出して赤ん坊を産み落とし、抱いている母親。
このような人々が何万何十万と集まっている「難民キャンプ」にはいろいろなお店が開店していた。
お酒を出すバーまであったのには驚いた。

もちろん今回の我が国の地震災害と10数年前のアフリカの国を一緒に考えるつもりはない。
だが、以前見たテレビ番組で知ったのだが、今やルワンダは毎年8パーセントの経済成長を続ける
世界でも有数の経済成長国になりつつあるとか。

当時世界最貧国のワースト5に入るとまで言われ、子供の9割が目の前での殺人を目撃したと
言われた国(民)がここまで立ち直ったと聞いて感慨深いものがあった。

東北地方も、何年か後には「大変なことがあったが素晴らしい所になったね」となってほしいものだ。

今の政治(家)のレベルを見ると悲観的要素も高いが、そんな国の形を選んだのは我々なのだから
文句は言えない。原発をどうするするか考えることを含め、国民一人ひとりの思想・哲学が今後
はもっと問われるのかもしれない。

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